精神科に1ヶ月入院するまでの話しー10年経ったので振り返るー

雑記
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みけ
みけ

え!ねここさん、精神科に1カ月も入院してたの?

(全然そういう感じに見えないな…)

ねここ
ねここ

実はそうなんだよ~まぁ普段は普通な感じでいたいから出さないよ。
助けを必要としている人がいたら話すときもあるけどね…。

こんにちは、ねここ(@nekohuman1)です。

いつもブログを読んでくださっているみなさん、本当にありがとうございます。
たくさんの温かいコメントをいただき、嬉しい気持ちでいっぱいです。

今回はわたしの人生の中で最も衝撃的だった一年間のことを記事にしたいと思います。

ここに書く理由は3つです。
①ちょうど10年経った
②現実世界では話さない
ネットの世界にも心の優しい方が多いのできっと受け入れてくれる
こんな感じです。

ここに書くことで自分の中で少し整理ができたらいいなと思います

注意してほしいことなのですが、感受性が豊かで心優しい方は見ない方がいいかもしれません。わりと強いわたしでも結構しんどかった経験なので、読んだときにそのときのわたしの感情に引きづられちゃうとわたしもすごく悲しいので…。

自分を守ることを第一に考えてくださいね。
全然大丈夫という方には読んでもらえたら嬉しいです。

では10年前にプレイバックします…!

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ー10年前の状況ー

わたしは当時看護学生でした。
某国立大学に現役で合格し、念願の看護師になる切符を手に入れたところでした。
喜びの舞を踊ったりしていましたし、舞い上がりすぎていたかもしれません。

入学して…3ヶ月くらいだったと思います。
サークル活動で足を怪我してしまい、松葉杖&車椅子の生活になってしまいました。

かなり不自由でしたが、それでも毎日学校に通っていましたし、大量に出る課題もこなしていました。
でも実習には参加できず、勉強も思うように進まずどんどん周りとの差ができてしまっていました。
そのときは「とにかく追いつかなくちゃ」と思っていて自分のことにあまり気を配っていませんでした。

今思えばここらへんからもう闇歴史の入り口に入っていたんだと思います。笑

そもそも毎日学校に松葉杖で通うことも時間もかかるし、ヘロヘロだったはずです。
家に帰ったら課題をこなして…病院にも行って…
自分のことだけでも結構いっぱいいっぱいだったと思います。

でもそのとき友人から大事な相談も受けていました。

当時のわたしは自分で言うのもなんですが、本当に心がきれいで純粋でした。
この世の全ての人がいい人だと思っていたと言っても過言ではありません。
心から優しかったと思います。

看護師になると決めたのも、電車のホームで人が倒れているのを見て、
「こういうときに何かできたらいいのに」
と思ったのがきっかけでした。

※ちなみに現在は人生経験も豊富になり、人狼ゲームで嘘を学んだりする余裕もでき、多少嘘もつけるようになり、いい具合に汚れました。笑

人狼ゲームについて知りたい方はこちら↓

ー入院までの出来事ー

話は戻りまして、
その友人の相談内容なんですが、簡単に言うと、死にたいというものでした。

(本当に読まない方がいい人もいるかもしれませんので、自己判断よろしくお願いしますね!)

その友人と会っているときは本当に元気そうに見えたのですが、どうも夜になるとダメなようでメールで相談にのっていました。

確か一か月に一回ほど自傷行為をした連絡がくるようになっていましたね
わたしは看護師になりたかったこともあり、どうにかして助けたい思いでナイフを預かったり親身に相談にのったりしていました。毎回その連絡が悲しかったです。

そんなときですかね…

わたしの足の怪我は治ったけれど、勉強が追いつかなくなっていたこともあり、試験に落ちまくってしまいました。追試が7つもある状態になってしまい、再試験でどれか一つでも落としたら留年という危機を迎えます。

まだ入学して半年なのに留年…わたしにとってはありえないことでした。
毎日松葉杖で通って勉強もちゃんとして一生懸命やった結果が追試7つだったので絶望的でした。
純粋に看護師になろうと思っていたので目の前が真っ暗になりました。

7つ全部受からなくちゃ留年という状況で不安と戦いながら追試のための勉強を一つ一つしていたのですが、試験期間最終日前日に例の友人から「最後のメール」のようなものが届きました。
そこには今までの感謝の思いともう生きられないという内容が綴られていました。

それを読んだわたしは突然うまく息が出来なくなりました。
今思えばあのときにキャパが超えたのかもしれません。

そのときのことをあまり覚えていないのですが、とにかく彼女に連絡をしたんだと思います。

でもその日は泣きながら呼吸がうまくできない中で勉強し続けた記憶もあるので、友人は何か行動を起こしたわけではなかったと思います。

その後のこともあまり思い出せません。
覚えてるのは、その後とりあえず試験は全部クリアしたことと、友人の命に別状はなかったこと。

その後あまり覚えていないのですが、
とにかくずっと「自分は看護師になるのに友人一人も助けることはできないのか…」と考えていました。

当時ある共通の友人に相談してみたら
「もう相談にのるのやめなよ」と言われたことがあったんです。
同じ看護師になりたい友人がそんなことを言ったのでわたしはショックでした。

もう一人の共通の友人に相談したときは
「え…何も気づいてあげられなかった…」と言って
その子も罪悪感から自傷行為に走るようになってしまいました。

あらゆるところに傷があったし仲が良かったのでてっきり知っていることだと思っていたから話してしまいましたが…

死にたいと思ってる友人、
相談にのるなと言う友人、
わたしの発言をきっかけに罪悪感を感じてしまった友人…

頭の中をいろんなことがぐるぐるしてしまい、
わたしは人という生き物がわからなくなってしまいました。

もともと学校自体が苦手なこともあったのですが、途中から学校に行くと体調が悪くなり、
通学路の途中で休憩をしないと行けないようになりました。
学校にたどりついたとしてもひどく体調が悪く、授業が受けられる状態ではなくなってしまいました。

人を見て「この人も明るく見えるけど本当は裏があるのかな」なんてことを考えるようになり、人を見ると吐いたりするようになりました。人の心が怖かった。わたしには「助けない、相談にのらない、死ぬことを選択したい」という気持ちがわからなかった。わたしの選択、わたしがしていること全部に自信がなくなってしまいました。

それでも全然関係のない友人から言われた言葉もわたしの中にちゃんとあり、それも一緒にぐるぐるまわっていました。

「ねここは優しいからね、患者さんもねここみたいな看護師さんがいてくれたら嬉しいと思うよ」

その言葉を聞いたときはすごく嬉しかった。
でもその言葉を鵜呑みにしすぎて、なかなか看護学から抜け出せなくなっていました。

今思えばわたしは看護師になりたかったというよりは周りの人の自分への評価をそのまま受け取っていただけのような気がします。

「患者さんも嬉しいだろうね、ねここみたいな優しい素敵な看護師さんがそばにいたら」

自分がそばにいることで患者さんが喜んでくれたら嬉しいと思ったのは事実ですが、
わたし自身はどうしても血が苦手でしたし、実習で友人と注射の打ち合いの練習も想像しただけで無理でした。

それでも「わたしみたいな看護師さんがいたら患者さんはきっと嬉しい」というのは頑張る原動力になっていましたし、実際そのために頑張っていました…

でも看護師を目指すどころか、学校に通うこともできなくなっていきました…。
その頃はバイトもしていたのですが、バイトもやめることになりました。
バイト先の人は体調が悪くてやめることは気づいていなかったと思います。

バイトの先輩が「これ面白いよ、読む?」と軽い感じで貸してくれた本がありました。
村上春樹さんの『ノルウェイの森』という本でした。
これです。




先輩はわたしが大学に行けていないことも知らなかったのですが、私からしたら学校に行っていないので家で本を読むのはアリだなと思って借りて読んでみました。

何も知らずに読んだ私が悪いのですが、想像以上に衝撃的で感情移入しすぎて体調を崩しました…
正直、心の状態が良くなかったわたしが読むべき本ではありませんでした
(10年経った今でもちょっと読むのが怖いです。内容はあまり覚えていませんが、、、でもそれだけ世界に入り込めるのでとてもいい本だと思います)

やばい、また留年の危機だ…と思いつつも
勉強どころか、学校に行けず、バイトも辞めてしまい、
部屋からも出られなくなって、眠れず、食べられず、何もできなくなりました。

もともと痩せ型だったのがガリガリになりました。

頭の中をいろんなことがぐるぐるしていて、ただ時が過ぎていました。

どういうきっかけだったか思い出せませんが、
このままだと危険を感じたんでしょうね、わたしは突然自力で病院へ行き、入院したいとお願いし、入院することになりました。

その頃のわたしの心境としては家族の前で普通でいることがもうできなさそうだと思っていました。
家族が部屋に入ってきたら、真顔でいることが精一杯でした。

家族が部屋から出た瞬間、何も考えていないのに涙がダラダラ流れ、余計なことを考えると吐いてしまったり、頭の中では常に「死んだ方がいい」と言ったような声がずっと聞こえていました。それを聞こえないようにするために本当は叫びたかったけど、ひたすら「いやいや、わたしはいい子だもん、死んだほうがいいなんてことはないよ」と静かに頭の中で返答して日々耐えていました。

それをずっとやっていると、だんだんこちらも弱ってきて、
長期戦になると負けるかもしれない」と感じていました。
「もうダメかも、もうやばい」と思ったときに病院へ行ったんだと思います。

もしわたしが死んだらどれだけわたしの周りの人が悲しむのか知っていました。
友人の自殺未遂の連絡でわたし自身がショックを受けていたからです。
だから死ぬことはしたくないけれど、この状態がずっと続くのは耐えられる気がしませんでした。

家族は「ねここはどうしちゃったのか」と心配していました。
わたしは家族に自分の心境を述べたり、やばい声が聞こえるなんてことを伝えて、ボロボロな自分をさらけ出すことで、家族がショックを受けたり悲しむのが一番嫌でした。
それでわたしが友人に相談したときのように
私の発言を聞いてショックを受けて家族も自殺未遂なんかしちゃったら…と思っていました。

とりあえず入院することだけ伝えて家から出ることになりました。

最後に

今回は10年前に実際にわたしの身に起きた出来事を記事にしました。
想像以上に長編になってしまいました。
前編では入院前の話し、後編で入院後の話しに分けました。

ここからものすごい勢いで回復していき、10年経った今幸せな生活を送っていますので、
どうか心配しないでくださいね。

その後のことを少し話してしまうと
この後に出会う入院仲間のおかげでわたしは今幸せに暮らしています。

入院仲間はその病院に10年~20年も住んでいました。
もう外の世界が怖くて病院から出られないんだそうです。
みんな優しくて大好きでした。

彼らの優しさ、温かさのおかげでわたしはまた人と普通に話せるようになり回復しましたが、
わたしが病院に居続けることを危惧した彼らは、
わたしの背中を押してわたしを元の世界に戻してくれました。

わたしは彼らと一緒に居たかったけれど、
彼らの分も外の世界(病院の外)で生きることを選びました。
わたしの人生の中で一番つらいお別れでした。

書いてみた今、泣いています。笑
これは安堵の涙と感謝の涙です。

わたしはもう何も頑張りません。
ゆっくり楽しく笑って生きていきます。
わたしが幸せに生きることがわたしの周りの人が一番嬉しいことなのです。

こんな幸せなことはありません。

入院仲間がわたしに望んでいる一番のことが、わたしが外の世界で楽しく生きることです…。
もうわたしは外の人間なので、
彼らに会うことはないけれど、いつも私の中に存在します。

彼らも病院でわいわい楽しく幸せに暮らしていることをいつも願っています。


後編は病院での生活についてもう少し具体的に書きたいと思っていますので、
少々お待ちください

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