え!ねここさん、精神科に1カ月も入院してたの?
(全然そういう感じに見えないな…)
実はそうなんだよ~まぁ普段は普通な感じでいたいから出さないよ。
助けを必要としている人がいたら話すときもあるけどね…。
こんにちは、ねここ(@nekohuman1)です。
いつもブログを読んでくださっているみなさん、
たくさんの温かいコメントをいただき、
今回はわたしの人生の中で最も衝撃的だった一年間のことを記事に
②現実世界では話さない
③
ここに書くことで自分の中で少し整理ができたらいいなと思います
注意してほしいことなのですが、
自分を守ることを第一に考えてくださいね。
全然大丈夫という方には読んでもらえたら嬉しいです。
では10年前にプレイバックします…!
ー10年前の状況ー
わたしは当時看護学生でした。
某国立大学に現役で合格し、念願の看護師になる切符を手に入れた
喜びの舞を踊ったりしていましたし、舞い上がりすぎていたかもしれません。
入学して…3ヶ月くらいだったと思います。
かなり不自由でしたが、それでも毎日学校に通って
でも実習には参加できず、
そのときは「とにかく追いつかなくちゃ」
今思えばここらへんからもう闇歴史の入り口に入っていたんだと思
そもそも毎日学校に松葉杖で通うことも時間もかかるし、
家に帰ったら課題をこなして…病院にも行って…
でもそのとき友人から大事な相談も受けていました。
当時のわたしは自分で言うのもなんですが、
心から優しかったと思います。
看護師になると決めたのも、
「こういうときに何かできたらいいのに」
と思ったのがきっかけでした。
※ちなみに現在は人生経験も豊富になり、
人狼ゲームについて知りたい方はこちら↓
ー入院までの出来事ー
話は戻りまして、
その友人の相談内容なんですが、簡単に言うと、
(本当に読まない方がいい人もいるかもしれませんので、
その友人と会っているときは本当に元気そうに見えたのですが、
確か一か月に一回ほど自傷行為をした連絡がくるようになっていましたね
わたしは看護師になりたかったこともあり、
そんなときですかね…
わたしの足の怪我は治ったけれど、
まだ入学して半年なのに留年…わたしにとってはありえないことでした。
毎日松葉杖で通って勉強もちゃんとして一生懸命やった結果が追試7つだったので絶望的でした。
純粋に看護師になろうと思っていたので目の前が真っ暗になりまし
7つ全部受からなくちゃ留年という状況で不安と戦いながら追試のための勉強を一つ一つしていたのですが、
そこには今までの感謝の思いともう生きられないという内容が綴られていま
それを読んだわたしは突然うまく息が出来なくなりました。
今思えばあのときにキャパが超えたのかもしれません。
そのときのことをあまり覚えていないのですが、とにかく彼女に連絡をしたんだと思います。
でもその日は泣きながら呼吸がうまくできない中で勉強し続けた記
その後のこともあまり思い出せません。
覚えてるのは、
その後あまり覚えていないのですが、
とにかくずっと「自分は看護師になるのに友人一人も助けることはできないのか…」
当時ある共通の友人に相談してみたら
「もう相談にのるのやめなよ」と言われたことがあったんです。
同じ看護師になりたい友人がそんなことを言ったのでわたしはショックでした。
もう一人の共通の友人に相談したときは
「え…
その子も罪悪感から自傷行為に走るようになってしまいま
あらゆるところに傷があったし仲が良かったのでてっきり知ってい
死にたいと思ってる友人、
相談にのるなと言う友人、
わたしの発言をきっかけに罪悪感を感じてしまった友人…
頭の中をいろんなことがぐるぐるしてしまい、
もともと学校自体が苦手なこともあったのですが、
通学路の途中で休憩をしないと行けないようになりました。
学校にたどりついたとしてもひどく体調が悪く、授業が受けられる状態ではなくなってしまいました。
人を見て「この人も明るく見えるけど本当は裏があるのかな」
それでも全然関係のない友人から言われた言葉もわたしの中にちゃ
「ねここは優しいからね、
その言葉を聞いたときはすごく嬉しかった。
でもその言葉を鵜呑みにしすぎて、
今思えばわたしは看護師になりたかったというよりは周りの人の自
「患者さんも嬉しいだろうね、ねここみたいな
自分がそばにいることで患者さんが喜んでくれたら嬉しいと思ったのは事実ですが、
それでも「わたしみたいな看護師さんがいたら患者さんはきっと嬉しい」というのは頑張
でも看護師を目指すどころか、学校に通うこともできなくなっていきました…。
その頃はバイトもしていたのですが、
バイト先の人は体調が悪くてやめることは気づいていなかったと思
バイトの先輩が「これ面白いよ、読む?」
村上春樹さんの『ノルウェイの森』という本でした。
これです。
先輩はわたしが大学に行けていないことも知らなかったのですが、
何も知らずに読んだ私が悪いのですが、
正直、
(10年経った今でもちょっと読むのが怖いです。
やばい、また留年の危機だ…と思いつつも
勉強どころか、学校に行けず、バイトも辞めてしまい、
部屋からも出られなくなって、
もともと痩せ型だったのがガリガリになりました。
頭の中をいろんなことがぐるぐるしていて、
どういうきっかけだったか思い出せませんが、
このままだと危険を感じたんでしょうね、
その頃のわたしの心境としては家族の前で普通でいることがもうで
家族が部屋に入ってきたら、真顔でいることが精一杯でした。
家族が部屋から出た瞬間、
それをずっとやっていると、だんだんこちらも弱ってきて、
「
「もうダメかも、もうやばい」と思ったときに病院へ行ったんだと思います。
もしわたしが死んだらどれだけわたしの周りの人が悲しむのか
だから死ぬことはしたくないけれど、
家族は「ねここはどうしちゃったのか」と心配していました。
わたしは家族に自分の心境を述べたり、
それでわたしが友人に相談したときのように
私の発言を聞いてショックを受けて家族も自殺未遂なんかしちゃったら…と思って
とりあえず入院することだけ伝えて家から出ることになりました。
最後に
今回は10年前に実際にわたしの身に起きた出来事を記事にしました。
想像以上に長編になってしまいました。
前編では入院前の話し、後編で入院後の話しに分けました。
どうか
その後のことを少し話してしまうと
この後に出会う入院仲間のおかげでわたしは今幸せに暮らしています。
入院仲間はその病院に10年~20年も住んでいました。
もう外の世界が怖くて病院から出られないんだそうです。
みんな優しくて大好きでした。
彼らの優しさ、温かさのおかげでわたしはまた人と普通に話せるようになり回復しましたが、
わたしが病院に居続けることを危惧した彼らは、
わたしの背中を押してわたしを元の世界に戻してくれました。
わたしは彼らと一緒に居たかったけれど、
彼らの分も外の世界(病院の外)で生きることを選びました。
わたしの人生の中で一番つらいお別れでした。
書いてみた今、泣いています。笑
これは安堵の涙と感謝の涙です。
わたしはもう何も頑張りません。
ゆっくり楽しく笑って生きていきます。
わたしが幸せに生きることがわたしの周りの人が一番嬉しいことなのです。
こんな幸せなことはありません。
入院仲間がわたしに望んでいる一番のことが、わたしが外の世界で楽しく生きることです…。
もうわたしは外の人間なので、
彼らに会うことはないけれど、いつも私の中に存在します。
彼らも病院でわいわい楽しく幸せに暮らしていることをいつも願っています。
後編は病院での生活についてもう少し具体的に書きたいと思っていますので、
少々お待ちください